ママちゃんの自由帳

リハビリ専門医と言語聴覚士がより楽しい人生を送るために考えていることを綴ります

上の子ファーストできょうだい平等?

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きょうだい平等のつもりだったけれど

 

こんにちは、リハママです。

 

タイトルの「上の子ファースト」、長男が絶対的に偉くておかずが一品多かったような昔じゃあるまいし、今の時代どの子もみんな平等だよ!!と、お叱りの声が聞こえてきそうですが、仰る通りでございます。

 

私も日頃「兄・姉・弟・妹」ではなくてそれぞれ「ひとりひとりの子」として、上の子も下の子も平等に育てているつもりでしたが、意図せず上の子を泣かせてしまったので反省を込めてこのタイトルにしました。

 

上の子の思い:もっと甘えたい

 ある日学校から帰ってきた我が家の小学生がテーブルに着いてすぐ、涙目になっていました。

(えっ急にどうしたの?学校で何か嫌なことがあった?でも帰ってきて手洗い・うがいをするまでは変わった様子はなかったな・・・)向かいの席に座っていた私の頭には色んなことが浮かびますが、とりあえずどうしたの?と聞いてみました。

すると思いもよらない言葉が返ってきたのです。

 

「どうしてママは下の子の名前は書いてあげるのに、自分のは書いてくれなかったの?」

 

その時私は、幼稚園の持ち物に名前を書いているところでした。

(でも、上の子の教科書や持ち物にだって私が名前を書いているし、頼まれて断ったことなんて無いはずだけど・・・)と思いつつ

 

「お名前書いてないと誰のか分からなくて困っちゃうじゃない。下の子はまだ字が書けないから、ママが書いているんだよ」と答えると

 

「じゃあなんで自分のは書いてくれないの?嫌だった!!」と泣いています。

 

いやいや、書いてあげなかったことはないよ、

「え、この前、新しい自由帳にお名前書いたよ??」と聞くと

 

「違うよ!ようちえんの時のこと」

 

 

えーーーーっ、幼稚園の時のこと?幼稚園の時のことを思い出して泣いてるとは。。。

という驚きはひとまず置いておいて、「幼稚園のときに名前を書いてあげなかったこと」を思い出そうとしてみても、全然記憶に無いのです。

(ここは正直に覚えていないと謝るか、でも記憶にございませんとか政治家みたいだな、きっと上の子からの信頼を損なうな・・・)

 

一向に見当がつかない私に痺れを切らして上の子がこう続けます。

「七夕のたんざくとか、そういうやつ!」

 

あ!!なるほど。ようやく分かりましたぞ。

 

そういえば上の子、比較的早い段階で文字に興味を持っていたので、幼稚園の年少さんの頃には読んだり書いたりしていたのです。

それで短冊や提出物など、子どもが書いて構わないものには自分で名前を書いていたし、地域との交流会でお巡りさんへのお礼の手紙を書くときなどに、みんなで考えた内容を書く係りを頼まれたりしていたっけ。

もちろん誰も無理強いしたことは無く、「書けるんだから自分でやりなさい」みたいに突き放したニュアンスでは決して無い。

ただ自然に身近なものとして読み書きに関わり、楽しくしているように見えてたけれど、本当は嫌だったのかな??

そう思い尋ねると「そうじゃないけどさ・自分で書くのも好きだけど・・ママにも書いて欲しかった、下の子ばっかりずるい」

あ、本当のところはただ甘えたかったようです(笑)

 

 

母の思い

 余談ですが私の周りの言語聴覚士や脳の専門家のお医者さんと話をしていてよく感じるのが、みんな患者さんの反応をとても大事に思っているということ。

当たり前と言えばそうだけれど、患者さんの視線や表情、頷き、身振り、声の調子はもちろん、特に話し言葉と書き言葉にはとりわけ多くの情報が入っています。

いったん患者さんのフィルターを通されて出てきた反応には、言い誤り(書き誤り)や書く位置、書き方の特徴などの情報が満載で、その症状を手がかりに私たちは脳の中で起きている事を想像することが出来ます。臨床のヒントが盛りだくさんなのです。

中でも「書字」「描画」などは、聞いている側から消えていってしまう話し言葉とは違って、ずっと目の前に残るので、繰り返し見返しては「あのときと比べてこんな風な変化があった」と目を細める先生達を何度見たことでしょう。あたかも患者さんの分身、患者さんそのもののようなところがあると言っても過言で無いと思います。

 

そういう意識でいるので、子どもが書いたものなど宝物中の宝なのだということがお分かりいただけると思います。上手く正しくかけているか、はテストでは大事だけれど、ちょっとした書き間違いやひっくり返った鏡文字が出てきたら、もう可愛くてたまらないのです。

子どもが涙を見せた本質は記名うんぬんに無いことは分かりつつ、せっかくなので私はあなたの書いたものが大好きで宝物なのだということを伝えてみました。今泣いたカラスがもう笑う、でしたよ。

 

上の子ファーストできょうだい平等?

ぼくの!わたしの!サンドイッチ

 話は変わりますが、昨日、下の子は幼稚園のピクニックでした。

おにぎりやサンドイッチなど、食べやすいお弁当を持たせるようお知らせがきて、相談すると「りょうほうつめて」と言われました。

この頃早起きな子ども達は5時台にリビングにやって来て、キッチンでお弁当を作る私を覗いてみたり、ソファーでごろごろ転がってみたりしています。

上の子は常々、下の子がお弁当を作ってもらうのが羨ましくて、「いいなぁ、サンドイッチ食べたいなぁ」と言うと、取られちゃ大変と慌てた下の子が「だめだよ!がっこうはピクニックじゃなくてきゅうしょくでしょ」と答え、ちょっとした口げんかが始まっていました。

もちろん、上の子は取るつもりは無くて、ただ正直に「いいなぁ」と呟いただけ。

給食は美味しいけれど、自分も毎日お弁当を作ってもらっていた幼稚園の頃が懐かしいな、ちょっと戻ってみたいな、とかそんな気持ちがありそうです。

お弁当を詰め終わる頃にはすっかりケンカもおさまって、さあ朝ごはんです。

 

上の子が「ママ!!」と大声で呼びます。

「サンドイッチ、分けてくれるの??いいの??ありがとう!!」

 

下の子のお弁当と一緒に多めに作って、上の子の朝ごはんにしたのです。

あなた(実際には名前で)の分だよ、と伝えたときの目の輝きと、もりもりと嬉しそうに頬張る姿に、私まで嬉しくなってしまいました。

 

大きくなっても甘えていいよ

 「これはピクニックのだから」って言われなくても分かっている。

例え下の子の分しかなくても、いじわるしたりしない。

ちょっと羨ましい気持ちに折り合いをつける姿を「成長」とみることも出来ます。だけど、本当は我慢して諦めて、なんだかちょっぴり寂しい気持ち。

だから、そんなことを我慢しなくて良いんだよ、まだまだ甘えて良いんだよ、って伝えたいのです。

 

 自己肯定感を育てたい

 もう大きいから我慢、ではなくて

ピクニックじゃないけれど、自分も当たり前に食べられる。下の子ばっかりじゃなくて自分ももらえている。自分はちゃんと大事にされているし、そうされる価値があるのだ、そういう風に自分を認めていけるように育って欲しい。

そのためにはまずは大人が積極的に日々そういう関わりを心がける必要があります。

 

小さな我慢も積もれば

 ヒトの世界は小さいもの、弱いもの優先な部分がどうしてもあるので、自然に幼くてかわいい小さな子は手厚く面倒を見てもらえます。だんだんと大きくなると自分で出来る事が増えて、直接手をかけてもらう事は減ってきます。

学校では「自分のことは自分で!」が求められて、みんな毎日頑張っていますね。

 

きっと上の子はいつの間にか日々小さな我慢を重ねていると思います。

大人があからさまに下の子を優先にしていなくても。

成長の中で必要なことでも。

 

上の子ファーストできょうだい平等

 小さい頃は自分も同じようにしてもらっていたこと、むしろ両親を独り占めだったことは関係なく、「いま」「同じように」みて欲しい。

 

そう考えると、我が家の場合は意識的に上の子を優先にすることで、何とかトントンに出来るのではないかな?ということでの「上の子ファーストできょうだい平等」というタイトルなのです。

 

 

今日は下校の時間に雨が降り出し、傘を持ってお迎えに行きました。

昇降口から笑顔でかけてきて「きっとママが来ていると思った!」と言ってくれたので、あぁきっと私が伝えたかったことを分かってくれているな、と嬉しくなりました。

こんな些細なことですが、毎日のちょっとした上の子ファーストを続けていこうと思います。