こんにちは、リハママです。
長期休暇が終わり、我が家も通常運転になりました。
更新が無い間も覗きに来て下さった方がいたようで、ありがとうございます。
行き渋る幼稚園児
「ようちえんにいきたくない」
夏休み明け、「行きたくないなぁ~」と思っている仲間は沢山いると思います。
我が家の幼稚園児もその一人。先週は毎日のように「いきたくないの」と訴えていました。
ついでに私も「学校・幼稚園始まって嫌だな。」と思っています。夏休みに一日中子ども達と一緒にすごすペースに慣れ、それが当たり前になると、また新学期のペースに変わるのが面倒くさいと感じまして。学校でも幼稚園でも色々なことが起こるので、サポートする母も大わらわ。
子ども達が家にいてくれるほうがよっぽどのんびりと落ち着いていられるのです。
なぜ行きたくないのか?
・甘えたい
・慣れた環境が変わるのがいや
休み明けの行き渋りは想定内でしたし、主にこういう理由かな?と様子を見ていました。甘えたい気持ちは家庭で十分受け止めればいいし、徐々に幼稚園のペースに戻るだろう。その過渡期、移行期間は渋って当然だと思っていました。
でも、もう少し中心的な理由が別にあることが分かりました。
行きたくない、中核となる理由を考える
朝は「行きたくない」と言いながらも、幼稚園に着くと親の心配をよそに驚くほどすんなりと、むしろ嬉々として保育室に入っていく日もあるのです。そして先生によると日中、特に難しい姿を見せることも無くそれなりに楽しく活動出来ている様子。
幼稚園に自分から行ける日、そうでもない日、それぞれに共通する傾向や特徴が見られました。
幼稚園に行ける日の特徴
- 門の前で園長先生が待っている
- 途中で友達と会い、一緒に登園した
- 先に来ていた仲良しの友達が迎えに出てきてくれた
- 担任の先生が迎えてくれた
- 興味のある活動が出来る見通しが持てた
園長先生、なんとも大らかで温かいお人柄なのです。
まるで「おはよう、待っていたよ。」「明日も待っているね。」「大丈夫だよ、私はここで見ているよ。」とでも言われているような、とにかく親子を丸ごと包み込んで下さるような包容力があります。
どんなときだって受け止めて下さる、困ったらいつだって相談できる、そんな安心感があり、 実際に子どもが卒園して何年も経った保護者の方が子育てに悩んだときも、園長先生に会いに来るくらい、大人にも子どもにも慕われている方なのです。
先生でも友達でも家族でも、自分を待っていて迎えてくれる人がいるというのは有難いですね。
入室するのに時間がかかる、母子分離で泣いてしまう日の特徴
- 門に園長先生が立っていなかった
- やや強引な先生に迎えられた
- 担任の先生の遅番の日
- 先生も友達も誰もテラスにいない日
- 登園するなり意地悪をいわれたり叩かれたりした日
まず、園長先生がいなかった時点で「ようちえんにはいりたくない、そんなきもちなの」となり「かえりたい~」が始まります。幼稚園には二重の門があり、一つ目の門(外側。園長先生がいつも立っているところ)はくぐるけれど、二つ目の門(より内側)はくぐろうとしません。
「えんちょうせんせいがいないから」とか「えんちょうせんせいとはなしたい」などと言うわけではないので本人が自覚しているかは定かでないのですが、園長先生と一言でも話せるかどうかは有意に関連があるとみて間違いないと思っています。
もっと正確に言うと、「登園して外門についてすぐ!話せるか」が重要です。
園長先生が立っていてもお話しできなかった日も「かえりたい、おうちがいい」になりますし、保育室に入れなくてウロウロしている時に偶然園長先生に出会っても気持ちはお家にまっしぐらなのです。
2・3点目はほぼ同義。
普段は別のクラス担当でわが子とはあまり関わることが少ない先生方が出迎えてくれる日があります。その日の朝は人手が少ないので教室の中も玄関もテラスもカオス!
あの手この手でとにかく連れて行こうとされるので、ものすごく警戒しています。きっとうちの子は「その手には乗らないぞ」と思っているのでしょう(苦笑)
大人から観ると、テキパキして、子どもを乗せるのが上手い先生なんですけどね(やや強引でもある)。
4点目。一方で珍しくみんなが教室内にいて、テラスに人っ子一人いないときがあります。先生も出てこない。いつもと違う雰囲気に、大人でも「え、今日どうしたの?」ととまどうのです。
最後は言わずもがな。
ケンカもしていないのに、そもそも今来たばっかりで、朝の挨拶すらも交わしてない状態で一方的に突然嫌なことをされたら、そりゃぁ帰りたくなって当然ですわ。
母の考察。行きたくない訳は「不安だから」
上に箇条書きした内容をどう考えるか?
幼稚園にさっと行けた日の特徴に共通するのは「安心・楽しい・いつもの幼稚園」、一方の行き渋るときの特徴に共通するのは「不安・不快・いつもと違う幼稚園」。
北風と太陽に当てはめたら、行けた日は太陽、行きたくない日は北風。
太陽がポカポカ照らしていれば遊べるけれど、北風の吹いている日はおうちにいたくなるというわけ。
安心・安全は家庭でも保育の現場でも基本中の基本なのですが。
実は最近「いつもの幼稚園」ではありません。
時期的に起こりうる問題にイレギュラーな出来事が重なり、園長先生があるクラスの補助に入っていることが多くなりました。大元は運営上の事情でいくつかの変更があり、わが子には直接関係の無いことでしたが 、余波は来ていたようです。
子どもが(大人でも)一番安心できるのは、よく知っているいつも通りの慣れた環境であること。 安心・安全の土台がなければ、どんな「楽しい遊び」も安定して乗せられませんね。意識がしっかりしていなければ、記憶も注意も語れないのと同じです。
細かい事情は知らなくても、漠然とした「なんかちがう」不安を感じていたのだと思います。
わが子が「今日は大丈夫かな?」の指標にするのが「園長先生が門で待っているか(忙しそうにしていないか)」だったのだ、と合点がいきました。園長先生がいつも通りに門で挨拶しているということは、園長先生による特別な配慮が必要ないほどに子ども達が落ち着いているということですからね。
「 困った子」ではなく、「困っている子」
(幼稚園に行きたいけれど)不安がある
幼稚園や学校に行き渋る子は、「(行きたがらない)困った子」ではなくて「(行きたいけれど、色々な理由で行けなくて)困っている子」。
そう考えると援助の手立ても見えてくると思います。
我が家の幼稚園児の場合は、「いかにして安心感を保障するか」。
子どもに安心を保障するために
運営側の事情についてはどうすることも出来ないし、現実的に今年度いっぱいは現状維持だと見込まれるので来年度に期待するしかありません。
できることは
・先生に相談する。例えば楽しみとなる活動を設定したり、先生と何か翌日の約束をしたり、本人が遊びこめる好きなものを用意しておいたり、園長先生と確実に話せるよう少し早めに登園したり、、、ざっと考えてもできる事はまだありますね。
・時々お休みをし英気を養う、家で存分に甘える。
・これまで通り、登園した際は心の準備が整うまで、受容的肯定的な態度でじっくり付き合う。するとふとしたきっかけで自分で気持ちを切り替えてパッと入って行ったりするのです。
ポカポカの太陽が出れば、誰に言われなくとも遊び始めるのですから。
無理にでも行かせよう!とするのではなく、思わず自然と中に入りたくなるような構えを作れたらな、と思います。